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家族のコミュニケ−ション、成長と住まい… 我が家を省みて
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 ▲近況外観
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R.マイヤ−のクル−ザ−の様な白い端正な住宅が好みなのに、畳床での寝転がり生活習慣で育ってきたせいで、子ども達が廻りをぐるぐる走り回ったり飛び回ったりする只中で、床の上に寝転んで天井と本とテレビを見ながら過ごせる、あまり行儀の良くない小住宅を子供達へのプレゼントとして若い時に一寸無理してつくり、今年で25年、棲んで来た。
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 ▲暖炉のあるピット
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 ▲ガーデンパーティ
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私は暖炉付の、地面にめり込んだピットに酒盛りの場を確保し、カミさんは全てを把握出来るキッチンの形と外に話しかける出窓を願い出ただけで、28坪程の小宅と小さな庭の殆どはピ−タ−パンのような子供達の世界にした。
かつて親達が現在のように子供べったりの生活等考えられなかった時代、日常の集団的家庭生活の中で、特別な英才教育もせずに自然に子供達を社会的に自立できる人間に育んでいくのに適した空間として伝承されてきた、わが国の「茶の間型」の一室型生活様式を基本理念に、自分が幼少時に楽しいと感じた空間の幾らか…『冒険可能な遊び場としての納屋空間』『出入りを禁じられていた使用人の屋根裏部屋のカメラの内部のような不思議な空間』等…でも子供達に物心がつく前から味わわせてやろう(自分の記憶の伝承)と、吹抜を介した5層のスキップフロア−からなる変則3階の小空間をつくった。
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▲寝室(屋根裏部屋の記憶)
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 ▲寝室(屋根裏部屋の記憶)
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子供は学齢期になるとよその子供達の個室を内心大いに羨みながらも「こんなかっこいい家はよそにない」と誇りにし、気配でお互いを察する知恵が必要とされるオ−プンな空間で、派手な喧嘩も展開しながら成長した。我が家では陰湿な事はしようにも出来ないので、辟易する程親にも辛辣な物言いや自己主張も備えたかわりに、人間としては割合まともに育ったように思う。
床の間も神棚もない家の「へそ」として暖炉を設けた。もとよりお茶、食事の場に炉はつきもの。多様に生き生きと変化する火の光を肴に酒を飲む為だったが、子供達には神聖な存在としての火を制御出来、誰もやらない薪づくりをする親の存在を、当時は尊敬の眼差しで見てくれたようだ。
誰もやらない、或いは他人に勝る……をする親の存在を見せる住まい。
例えば、画家、音楽家、医師、ものを創る職人芸、日曜大工etc.箇条書き的教科書教育ではない、様々な矛盾を内包した存在全体としての生きた教材としての親を、家族をお互いに見せる住まい。
親や家族の生の姿を見せ合うのは得失両方ある。しかし失と感じる方も、育つ過程や巣立ち後における、成功ばかり続く訳がない人生、社会への訓練や準備として考えれば、結局得となろう。そのようなマイクロコスモスとしての住まい創りを、子供のいる住まい創りの基本と考える。
我が家の子供部屋はコ−ナ−や相部屋で、閉じる事が出来ないものだった。その結果は力の強い年長者が主導権を握り、下の子が我慢を強いられるケ−スが多かった。これもそれぞれの個性形成や欲求心に役立つマイクロコスモスとしてとらえれば是正すべきものでもない。但し、自分のスペ−スがない為に、整理や清掃、インテリアコ−ディネ−トの習慣が身に付きにくくなる可能性もあるので、小さい時から自分の私物を自分で整理するスペ−スは必要と思う。うちは片づけ上手もいれば、ものを大事にする気持ちが強すぎて整理下手なのもいる。整理は習慣を早くからつける必要があるようだ。
ゲ−ムは小さい時の要求に頑として応じなかった結果、他人のものやよそのうちで時々発散し、はまりこむ子供はいなかった。その反動かどうか、武術や能、映像、楽器等大人になっても継続する趣味をもった。TVは子供がビンゴで当てたりしても、結局あげてしまったりで未だに1台である。スペ−スがないからということもあるが、我が家の特徴の、必ずみんなが集まる、家の大半を占める家族室でTVはみるものとみんなが思っているからのようだ。勿論チャンネル争いがおきるが、それもそれぞれの好みやその時の感情を確認するバロメ−タ−として大事なように思う。
アトピ−については、私が設計した仙台のI邸が、施工者のホ−ムペ−ジにのっている。物理的には、埃が溜まらない、埃を簡単に掃除出来る工夫、日照と通風をよくする事、極力化学製品や薬品は避けて自然の素材を使う、空気(埃)が飛び散らない暖房(床暖房等)、それに心が解放できる空間性が基本である。
I邸の場合は、事前に青森ヒバの茣蓙やオイルの効用が若干見られたのに期待して、構造や仕上げに青森ヒバを多用した。一般の方には資金面でこの家にようなヒバの使用はなかなか難しいかも知れない。
私は、ヒバの効用もあったとは思うが、I邸がうまくいったのは、母親が一生懸命に情報収集してこちらと打ち合わせし、実生活での洗濯、物干し、清掃などをひっきりなしにこなしていた愛情が子供に伝わり、子供の心を包んでくれたのが一番大きなものだったと思う。この家が出来たらあなたのアトピ−は直るのよといわれて眺めに来、かなり出来た頃に中に入ってみて気に入った場所に安心したように腰を下ろしていた姿を思い出すと、その時点では心が解放に向かっていたのだろうと思う。
興味のある方は、少々長いが、同様なテ−マの私の著作原稿を添付しますので読んでみて下さい。 →
(エムアイティ建築研究所・御供
政敏)
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